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雑記

都内大学四年の独り言

感情抑制装置

 

人間と動物の違いは何であろうか?

 

言葉を話すこと、社会を形成していること、創造性があること...

様々なことが挙げられるだろう

 

では、決定的な違いは何か?

 

私のこの問いに対する答は、“理性”である

 

特段動物に詳しいわけではないし、動物にも理性があるのかもしれない

 

先ほど人間と動物を区別して述べたが

もともとは人間も動物の一種である

 

そのため、人間も本能的に行動するものである

この本能を制御するものが理性であると考える

個人個人の理性の度合いにより、性格というものが生まれると私は考えている

 

20歳を越えたころから、私は人間ではなく動物と化してしまうことが多々ある

動物と化している間行動しているのは、自分であることは間違いないが、自分ではない者でもある

 

そのため、化している間の行動を人伝に聞くと自分とは違う誰かの話を聞いているように感じられる

 

まさに昨日、バレンタインデー、この出来事があった

そして自分の大切な人を傷つけてしまった

 

自責の念に駆られ、二度とこのような過ちを繰り返さないよう

文章に残そうとしている

 

簡単に言うと、彼女の過去を掘り返しその行動を責めてしまった

普段の自分であれば、過去のことなど何も思わないし、嫉妬を感じたり、それを責めたりすることはない

 

しかしながら、昨日の私はやってしまった

 

過去を掘り返したところで、その事実は不変のものであり

改善の余地もない。

 

それをただひたすら責めた

 

確かに、今までその過去を気にしていた

この思いが募り、理性のなくなった昨日責めてしまったのだろう

 

そのような愚かな行動は二度と繰り返してはいけない

 

大切な人の理想的な人に少しでも近づきたい。

 

運命の人を待つより、誰かの運命の人になれるように

 

 

 

安定

 

一昨日、久しぶりに友達と飲んだ

 

 

僕は半年後に就職を控え、彼は院に行くか就職するか悩んでいた

 

 

自然と将来の話になる

どの選択をするべきか??

自分の選んだ道は合っているのか?

 

 

 

 

 

多くの会社は10月初めに内定式が行われる。

 

 

僕の就職先も例外ではなかった

 

 

そして今現在、デジャヴな不安が僕を襲っている

 

 

“この会社でいいのだろうか?”

 

 

周りの就職活動が終わり始めた、6月の不安だ。

 

 

内定式を終え、就職が具体化されたことにより

思い出したのだろうか

 

 

 

 

今思ってることを彼に相談した。

 

 

“今になって、大手企業に就職する安定が眩しく見える。僕の選択は間違っていたのだろうか?”

 

 

彼は簡単に答えた

 

 

“自分の能力に申し訳ないと思わないのかい?”

 

 

『それなりに能力がある人が、大手企業に就職し、既に出来上がってる仕事をルーティンワークのようにこなす。

 

これは非常に勿体無いことではないか?

 

そのようなことは誰にでも出来る。

 

チャレンジしなければその能力に申し訳ないだろ。』

 

 

なるほど、と思った。

 

 

説明が遅れたが、彼は芸術大学に通っており

誰よりも将来を不安に思っていると思う。

 

 

“だよな、安定から生まれるものなんてないよな?”

 

 

僕は続けて問い掛けた

 

 

“それは少し違う。

 

確かに、不安定から生まれる物も多い。

 

ただ、安定している方が物が生まれやすいと僕は思う。

 

本当にお金のなく、生きるのに必死な人がお笑いをすることが出来るだろうか?”

 

 

彼の回答は毎回的を得ており、

色々な角度から考察出来ている。

 

 

それは、日頃からアンテナを張っているからだと思う。

 

 

僕も日頃からアンテナを張っていきたい。

 

 

 

今回の記事もまとまりのなく、非常につまらないものになってしまった。

 

 

 

 

 

 

誕生日とsns


いつからだろうか
誕生日を迎えるのが怖くなったのは



6月22日
誕生日の前日である。

この日はずっとそわそわしながら時間を過ごしていたことを覚えている

それは“楽しみ”から来るものではないことは明らかだった



大学一年生の頃にfacebookを始めた

大学生にとってのfbは、一部の人間を除いて
頻繁に更新するものではない。
更新すると言っても、写真くらいだろうか

しかし、一年に一度、活発になる日がある




fbでは誕生日の人がいると、“その人が今日誕生日である”という通知が友人に流れる


その通知を見た友人はfb上で祝福のメッセージを送る


ここまでは普通であるが、問題なのは“メッセージが公開される”“メッセージ送った人数が表示される”という2点である。


後者に関しては、公開処刑と言っても過言ではない


この人数により、その人物の友達の多さ・人気度を計ることが出来る


この、審判の日を迎えることに怯えていた


『何人書いてくれるだろうか...?』

 


結果としては、ある程度の人数に書いて貰うことができた


論点はそこではない。

 

 

私は自他共に認める、自己中人間である


自分が幸せなら、他人はどうでもいいと思っている


しかし、fb上では他人と祝われた人数を比べ
自分より少ない人を哀れんでもいた


いつから“他人から見た自分”を意識するようになったのだろうか

 

 


自分の幸せより、他人から見た自分の幸せを優先するようになってしまっている。

 

 

fin

初動

 

止まっている状態から動き出す

 

 

そのために必要なエネルギーは計り知れない

一旦動き出すと、加速にさほどエネルギーは必要ない。

これは全てのことに通じる

 

一歩目が踏み出せれば、二歩目、三歩目と数学的帰納法のように自然と足が出てくる

とにかく、一歩目が重要なのである。

 

 

では、どのように動き出せば良いのか?

 

 

私は、後々のことを考えずに、始めることだけを最初の目標にしている

例えば、この記事を書き始める際

“とりあえず、一行だけ書こう”

ということを目標にしていた。

 

そして一行目を書き終えた私は、現在12行目を書いている

 

学校・バイトに行く時は

“とりあえず玄関出てみるか”

勉強したくない時も

“とりあえず教科書開こう”

 

このように考えれば、さほど精神的エネルギーは必要ないのではないだろうか

 

 

と、自分に言い聞かせながら

二週間前から毎日、“今日こそ始めよう”と考えていた卒論を書き始めようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直感


今までの人生の選択において“直感”に頼ることが多くあった。

その“直感”での選択でミスしたことはない。




私は浪人を経験したのだが、その際の予備校も

『浪人 予備校』で検索し
ヤフー知恵袋でオススメされていた予備校になんとなく入った。

北九州予備校という、関東ではマイナーな予備校だ

他の予備校と異なるのは、寮があることだ

無名の予備校だったが、なんとなく選んでしまった


結果としては正解だった。



大学2年、ゼミもなんとなく選んだ

私は商学部に所属しているのだが、法学部(租税法)のゼミに入った

その頃会計士を目指していたため、租税関係のゼミを探していた

商学部にも租税法ゼミが存在したが、商学部のゼミ選考は3月
法学部は11月と、とても早く決まるため、後者にした

他学部のゼミになるため、単位としては厳しいものがあるが
他の学部に飛び込んでみるのも面白いと感じた




このように、私は何かを選択する際、直感(てきとう?)で決める

そして今まで間違った選択だと感じたことはない。

今回、就職に関しても同様だった

つまりは、“自分がどのようにその組織で過ごすか”
が重要なのである


すべての物事において、プラスとなる思考をしたいものだ。




はじまり


大学に入り、四年目


就職活動も無事終わり、何もない日々が続いている
強いて言うならバイトくらいだろうか


就活を通して色々と疑問が芽生えた


自分の強み?
将来何がしたい?
そもそもなんのために働くの?

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私はITの中小企業に就職予定だ。


面接が解禁された今、同期が有名企業の内定を次々と貰っている


その報告を聞くたびに不安になる自分がいる
なぜだろうか?


会社名で自分を判断されたくない。
と思い、自ら就職先を選んだはずなのだが

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成長のない日々に嫌気がさし、ブログという形で記録を残すことにした


ネット上では、普段の自分を捨てることが出来ると考えた


ここでなら‘キャラ’がないから、思ったことを書くことが出来る


毎日書こうとは思ってないが、思い出すたびに更新していこうと思う